青野健美術館への道

わき目ふりふり
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母、逝く


My mother and I


母、逝く。85歳。
8/20私は仕事に行く時、リュックに最低限の身の回り品を入れていました。
どんな時もすぐ駆けつけられるように。

昼、弟からの一方で新幹線に飛び乗る。
今の医学で、母は私が着くまでなんとか意識を保ってくれていました。
母のベッドを挟むようにして、弟と私の簡易ベッドが入りました。
主治医は暖かく、丁寧に母にも私たちにも接してくださいます。
午後11時すぎ、高鳴るブザー。
母の心拍は転げ落ちるように、そしてモニターの線形はフラットになりました。


My mother likes dry Yatsuhashi. She made sometimes funny creature.


私たち一人一人、母の存在というものは特別で大きいものですね。
少し母自慢させてもらいますね。

4人兄弟の長女として、また戦争で父を失い、中学校を中退して、
家族を支えました。
母の身体は丈夫で、睡眠時間を削って仕事をしました。
超がつくほど偏屈な父との人生は苦労ばかり。
人のことを先ず考え、欲はなく、たわいない日常を笑って過ごせれば
幸せな人でした。
一代で財を築くも、常に質素に過ごしました。
いつも忙しく、私としてはかまって貰った記憶があまりありません。
唯一、二階の畳の上に転がって歌集から童謡を歌っていた私の横に、
洗濯物を干し終った母が一緒に寝転がり歌を歌いました。
そんな一時が私の記憶に鮮やかに残っています。
私が東京へ帰るたびに、母はそっとお小遣いをくれました。
もうそんな歳ではないのに。
晩年、母のボケが進んでからは、今度は私が母のお財布に小銭をいれました。
コーヒーの赤い缶WANDAを買うためです。
親の恩には全然報いることはできないままの不肖な娘です。



My brother made white rice with traditional rice cooker and we go and buy two kinds of famous beans. All of that is for my mother because these are her favorite.


亡くなった翌日、弟と私は母の好きだったものを買いに東京中走りました。
池袋の長府屋の黒お福豆煮、水天宮のはまやの冨貴豆煮、スイカ。
そして台所の奥から取り出した羽釜。
これで母の一番の大好物、銀シャリを焚くのです。

今日骨上げをして、母の姉妹達と昼食を食べました。
私の知らない母の若い頃を聞けたり。
夜はご馳走をお供えして、弟と私も同じものを頂きました。
いずれとはわかっていたけど、寂しいです。
食後に弟が母のデイサービスでの写真を見せてくれました。
去年のクリスマス、楽しそう。
今、お母さんとの約束を果たすべく、計画を準備しています。
母みたいに働き者ではないけれど、
母みたいに無欲ではないけれど、
母みたいに人に優しくはないけれど、
約束だから、必ず!
季節はすっかり外していますが、
皆さんメリークリスマス?



at Christmas party 2019
My mother passed away 3days ago/20th August.
I’m so sad but started to make future plan already because this is a promise with my mother.
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